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2009年12月

2009年12月 2日 (水)

松下プラズマ偽装請負訴訟、最高裁で弁論 斎藤梱包分会も闘う

11月28日付け朝日新聞朝刊によると「パナソニックプラズマディスプレイ(旧松下プラズマディスプレイ、大阪府茨木市)の工場で、違法な偽装請負状態で働かされていた吉岡力さん(35)が同社に雇用関係の確認を求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は27日、双方の主張を開く弁論を開いた。小穴ソニック側は雇用関係があると認めた二審・大阪高裁判決の破棄を、吉岡さん側は維持をそれぞれ求めた。判決は12月18日に言い渡される。(以下、略)」という。
吉岡さんの高裁勝利判決以降、全国的には、60件以上の偽装請負裁判が展開されており、わが静岡ふれあいユニオン斎藤梱包分会「王子特殊紙・斎藤梱包偽装請負裁判」もその一つであり、松下プラズマディスプレイ最高裁判決が大きな影響を与えることはいうまでもない、吉岡支援は、私たちへの支援でもある。
ところで、「王子特殊紙・斎藤梱包偽装請負裁判」は、11月18日に、静岡地裁裁判官らが、被告王子特殊紙の富士工場視察がおこなわれ、裁判官らは、特殊紙製造工程にふれた。
次回、審理は1月に行われる。

以下、吉岡さんの最終陳述書、および10月の国労団結まつりで、静岡テントで決意表明をする吉岡さんを掲載する。

陳 述 書
2009年11月8日
最高裁判所第二小法廷御中
住所 ●●●●
氏名 吉岡 力

最高裁判所の裁判官の皆様に私がなぜパナソニックプラズマディスプレイの職場に戻ることにこだわっているのかを述べさせていただきます。

私は2004年の1月から偽装請負会社パスコの従業員として、パナソニックの正社員の指揮命令の元、パナソニックプラズマディスプレイ茨木工場で働き始めました。私が所属していた封着工程という部門は、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う部門でした。働き始めた当初、危険物を扱う業務をパナソニックの従業員とパスコの従業員で一緒にこなしてきました。しかし、2004年2月にパナソニック従業員であるA氏とB氏の鉛の特殊健康診断で血中鉛の値に非常に危険な値が出たという事件があり、その日以来、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う仕事から2人は外されることになりました。あの時にパナソニックの労働安全衛生担当の従業員がA氏とB氏に言った言葉は忘れる事ができません。

「お前たち、もうこの仕事しなくてもいいからな。後は派遣の奴にやらしとけ」

同じ業務をしていたパスコの従業員の私達には特殊健康診断はありませんでした。
2004年のこの事件があって以来、鉛や有機溶剤を扱う仕事は2004年4月初旬まではCさんと私で行い、2004年4月初旬にCさんが退社してからは1班ではほとんど私がこなしてきました。鉛や有機溶剤を扱う仕事は、封着工程の中で一番重要な仕事で基幹業務でした。

私が就いていた部門の仕事は、12時間15分拘束の夜勤を含む2勤2休の勤務でした。2勤2休の勤務ですので、普通に考えれば1ヶ月に約15日の出勤という事になります。しかし、私には2004年3月20日に同居していた父親を大動脈瘤破裂という形で急死で亡くし、その時に私一人で葬式費用を捻出し、有り金をほとんど使い果たしてしまっていたという事情がありました。父親が亡くなった後、今後の自分の将来のことを考え、大変悩み苦しみましたが、有り金をほとんど使い果たしている自分には悩み苦しむ余裕もなかったのが現状でした。「とにかく今自分はパナソニックプラズマディスプレイという職場で働いているんだ。ここの職場で一生懸命働いて自分の人生を切り開いていくことが亡くなった父親に対する一番の恩返しになるのではないか」と無理矢理自分の心に言い聞かせ、何度も何度も休日出勤を繰り返し、必死に仕事を覚えました。
そうすると自然に仕事の方もたくさん覚えるようになり、働き始めた当初の2004年1月時点では現場で本当に頼りなかった自分が、いつの間にかほぼ毎日のように2班と3班のパナソニックの班長から何度でも休日出勤をして欲しいと言われるぐらいまでになりました。

偽装請負問題は、実際は派遣という雇用形態であるにもかかわらず、契約だけ請負と装い、就業先の従業員の指揮命令を受けながら働いているという違法行為とよく言われていますが、私の場合、働き始めた当初は確かにパナソニックの従業員の指揮命令を受けて仕事に従事していたかもしれませんが、どんどんと仕事を覚えていく中で私がパナソニックの従業員に仕事のやり方を指導したり、教えたりしていたという事実もあったということを裁判官の皆様には理解して欲しいと思います。

私の場合は自分が従事していた封着工程という仕事の基幹業務を自分が担ってやっているという誇りを持ちながら一生懸命働いている中で、一緒に働いていた従業員の方々と良好な人間関係を作ってきました。当時、1班の班長だったH班長から「いつも、ありがとう。吉岡ちゃんのおかげで現場は持っていると思う」とか2班のI総括班長からも「今日もきてくれたのか。よく頑張るなあ」とか言われたりもしていました。

私は12時間15分拘束の夜勤を含む2勤2休という勤務体系で、休日出勤をたくさん行い、1ヶ月に少なくとも22日は出勤していたはずです。2004年の7月には27日も出勤をして本当にがむしゃらに働いてきました。

ところが一生懸命作り上げてきた良好な人間関係が壊れてしまう日が来てしまいました。2005年3月26日の日に,パナソニックのH班長から時給1350円のパスコから時給1200円のアクティスへ移籍しなければ辞めさせるぞと言われました。H班長はアクティスへの移籍にあたって、3月1日の日にはこちらからも悪くならないように働きかけておくからと私に言っておきながら、私に「文句を言っているのはお前だけだぞ」「このままだったら君は5月末までだ」などと散々な事を言いながら、移籍を迫ってきました。H班長は今まで「吉岡ちゃんのおかげで現場は持っていると思う」と私の事を評価してくれていた方でした。なぜ、仕事上で評価されていた私がこのような嘘をつかれ、その上、辞めさせられなければならないのでしょうか。なぜ、自分の父親が亡くなった後、必死になって懸命に生きようとしている自分がこんな理不尽な形で社会から排除されないといけないのでしょうか。

以下、H班長との2005年5月19日に交わした電話でのやり取りですが、どれだけ私が不誠実な対応をされたかを理解していただけるのではないかと思います。また、この会話のやり取りを見ていただければ、パスコの従業員を実質的に支配していたのが、パナソニックであるということや組織的にこのような違法行為を行っていたということを理解していただけると思います。

(以下、電話でのやり取りをそのまま掲載)

以下、H班長との2005年5月19日に交わした電話でのやり取りですが、どれだけ私が不誠実な対応をされたかを理解していただけるのではないかと思います。また、この会話のやり取りを見ていただければ、パスコの従業員を実質的に支配していたのが、パナソニックであるということや組織的にこのような違法行為を行っていたということを理解していただけると思います。

パナソニックプラズマディスプレイは、今回の私との訴訟において私と他の従業員の間で軋轢があったということを述べてきましたが、そもそも軋轢の原因を起こしたのはこのような引き抜きの斡旋行為という違法行為を従業員に命令して行い、しかも嘘をついてきたパナソニックプラズマディスプレイという会社にあるのだという認識を裁判所におかれましては強く持っていただきたいと思っております。

以前まで「吉岡ちゃんのおかげで現場は持っていると思う」というねぎらいの言葉をかけてくれていたH班長の言葉を信じていた私は、思いもしなかった班長からの裏切りの言葉にショックを受けてしまい、人間として崩壊しそうになりました。でも本当に崩壊してしまったら生活が出来なくなる私は、自分の父親が亡くなった時に「何か困ったことがあったら、私に相談して下さい」と声をかけてくれていた父の友人だった司法書士の先生に藁をもすがる思いで「どうしても人間として許せないことがあるので話を聞いて欲しい」と連絡を入れ、今回の訴訟でお世話になっている主任弁護士の村田浩治弁護士を紹介してもらいました。

労働相談の中で村田弁護士から今回の引き抜きの斡旋行為の背景にパナソニックプラズマディスプレイが『偽装請負』という違法行為を行っている事実があるということを教えてもらいました。そして、吉岡さんだけでなく、多くの若い人達が『偽装請負』という、このような将来先行きが見えない違法な働かせ方をさせられて苦しんでいるという話を聞かせていただきました。また、労働相談の時に渡された資料の中に、今私の事件と同様に最高裁判所で争われているニコン熊谷製作所偽装請負過労死事件の週刊東洋経済の記事をいただき、亡くなった息子さんのために上段のり子さんという母親がこの問題で闘っているということを知りました。この資料を読ませていただき、正直私は大きなショックを受けました。私自身、パナソニックプラズマディスプレイに限らず、大和紙器、東芝家電製造、ユアサ電工、住友特殊金属、松下照明社(現・パナソニックライティング社)と10年近く偽装請負状態で働いてきたということもあり、日本を代表するこれらの大企業がこの間、自分だけでなく、社会や世の中のことを全く知らない多くの若い人達をずっと騙し続けてきたという事実を知___ $j!"C/$+$,$3$NLdBj$G@<$r>e$2$J$1$l$P$J$i$J$$$H$$$&;W$$$K$J$j$^$7$?!#$=$7$F!"N>?F$,$*$i$:!"2?$N$7$,$i$_$N$J$$<+J,$3$=@<$r>e$2$k$K$U$5$o$7$$$@$m$&$H$$$&;W$$$G%Q%J%=%K%C%/%W%i%:%^%G%#%9%W%l%$$N56Au@AIi$r2005年 5月26日に大阪労働局に告発いたしました。

大阪労働局の是正指導が行われる中で、パナソニックプラズマディスプレイは2005年7月14日に私に対して直接雇用いたしますと通知しましたが、その内容は期間工というもので、私を事実上期限が来たら解雇するというとんでもないものでした。後で知ったのですが、期間工就業規則は2005年8月1日付で作成されています。何故、この時点でありもしない期間工という就労条件を私に提示することができるのでしょうか。そもそも、違法行為を行った企業が違法行為を告発した当事者に解雇予告をした契約書にサインをしなければ、契約を結ばないというやり方はあまりにも社会正義に反した卑劣な行為ではないでしょうか。2005年7月20日をもってパスコがデバイス工程から撤退するという理由で、私は自分が愛着を持って働き続けてきた封着工程から追い出されました。そのため、生活のために仕方なくこの契約書にサインをせざるを得なくなりました。私はこのパナソニックプラズマディスプレイの卑劣なやり方に対する対抗手段として代理人である大西弁護士を通じて就業場所が変更されている点と期間が限定されている点につ___ $$$FG<F@$,$G$-$^$;$s$G$7$?$N$G!"0[5D?=$7N)$F$NFbMF>ZL@$H$$$&7A$G935D$$$?$7$^$7$?$,!":[H==j$K$*$+$l$^$7$F$O7P1D<T$h$j<e$$N)>l$KCV$+$l$F$$$kO+F/<T$,6/$$N)>l$K$$$k7P1D<T$KBP$7$FDq93$9$k<jCJ$O$3$&$$$C$?7A$G$9$k$7$+$J$$$H$$$&$3$H$rG'<1$7$F$$$?$@$-$?$$$H;W$C$F$*$j$^$9!#

今、この期間限定の直接雇用で雇い止めになるといった問題でパナソニックに限らず、多くの方々が全国各地で訴訟を行っていますが、司法の最高機関である最高裁判所におかれましては、違法行為を告発した者に対して違法行為を行ってきた企業が労働契約において、その労働者を短期間だけ雇った上で雇い止めにしても良いなどという社会正義に反した判断を下さぬよう、社会正義に則った判断を下していただけるよう、よろしくお願いいたします。

さて、事件の経過の中で、パナソニックプラズマディスプレイは私を2005年8月22日に直接雇用しましたが、まるで見せしめだと言わんばかりに広い資材置き場にテントを一つだけ設置して私を隔離した上に、私の実質の上司であったI総括班長が「あってもなくてもいいようなどうでもいい仕事だから適当にやっといて」というような仕事を与えるという嫌がらせを私に仕掛けてきました。この資材置き場は産業廃棄物を廃棄するドラム缶が置かれており、ものすごく強烈な異臭がする部屋でもありました。愛着があった封着工程から排除され、このような場所で一人で働かされる精神的苦痛は筆舌にしがたいものがありました。そもそも、私はH班長に 2005年4月27日時点で「吉岡には封着工程で残って
欲しいから」とまで言われているのに何故、リペア作業という誰も従事したことのない、誰がどう考えても偽装請負を告発したことに対する報復としか思えない仕事にたった一人で就かされないといけなかったのでしょうか。それだけでなく、朝会には参加させない、社内報は渡さない、掲示板を見ていたらひっくり返す、本当に筆舌にしがたい嫌がらせを散々した挙げ句、私を2006年1月31日で解雇したというのが、この事件の経過なのです。

テントに隔離され続けてきた約5ヶ月の間、今まで普通に「おはようございます」と挨拶していた仲の良かったパナソニックの従業員が全く挨拶もしなくなったりもしましたが、その様子は何かに怯えているようでもあり、目で「本当に申し訳ない」と自分に訴え続けていました。こういった一つ一つのことが人間としてどれだけ辛いものかわかっていただけるでしょうか。

テントに隔離したことは、もちろん私に対する人権侵害行為ということもありますが、パナソニックの職場で働いている全ての従業員に対する人権侵害行為でもあります。
私はただ、元の職場に戻り、これらの人権侵害行為を受けてきたパナソニックの従業員の皆さんに「ようやく職場に戻れることができました」という一言が言いたいのです。そうしなければ、私だけでなく、パナソニックの職場で私と一緒に働いてきた従業員は精神的に救われないのではないでしょうか。

最高裁判所の皆様に最後に言わせていただきます。私は父親を急死で亡くした後、必死になって働き、必死に生きようとしました。だから、私は今回のパナソニックプラズマディスプレイとの地位確認を求める訴訟においても命懸けで闘わせていただいております。必死に生きようとしている人間を否定する社会は間違った社会です。私が雇い止めになって、もう4年になろうとしています。どうか最高裁判所の裁判官のみなさまには社会正義に則った公正な判決を下していただけますよう、よろしくお願いいたします。

 以上のとおり、陳述いたします。


松下プラズマディスプレイ偽装請負事件訴訟
原告 吉岡 力


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